2013年7月14日
まこちよかとこみやこんじょ 不定期にお送りする恒例の地元自慢 早鈴町六月灯編
地元早鈴町で六月灯が開催されました。
六月灯(ろくがつどう)とは、旧暦の6月(現在は7月)を中心に鹿児島県の神社・寺院で行われるお祭りです。鹿児島県を中心に旧薩摩藩領だった地域で行われる行事で、都城市でも開催されます。鹿児島の夏の風物詩であり、「ろっがっどー」の呼び名で親しまれています。
私たちの地元都城市では地区の公民館で地域の自治会や町内会が中心となって開催しています。7月はほとんど毎日のようにどこそこで花火があがっており、とてもにぎやかです。
小さい頃から自転車で行ける範囲の六月灯に通い詰めていた自分としては非常になじみのあるお祭りです。
幼い頃に住んでいた中町公民館ではロケット花火やネズミ花火で町の子どもたちを2分にしての花火戦争が始まったり・・・ 今考えると祭りに来たお客樣方には大変なご迷惑をおかけ致しました(反省)
(イメージ図 こんなにはげしいわけはありません)
お祭りの由来には諸説あり、島津光久が鹿児島城下の新昌院(現鹿児島市新照院町)の上山寺の観音堂を再建した折、旧暦6月18日に沿道に灯籠をつけさせたので、檀家でもこれにならって灯籠を寄進したのが始まりといわれている説や、「六月ノオツメアゲ」と呼ばれる牛馬の疫病祓いや害虫駆除を祈る風習があり、こうした民間行事が洗練されて六月灯になったという説もあります。
写真のように「田の神さあ(たのかんさあ)」を同時に奉る公民館もあります。(見えにくいけどのれんの右端に書いてるんすよ)
田の神さあとは、冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすと信じられている神様で、18世紀の初め、霧島の噴火・天災などが原因で、農家にとって大変きびしい時代でした。農家は霧島の噴火をやめさせ、稲作の豊作を願うために「田の神石像」を作るようになったといわれています。
出典 Wikipedia
島津光久が17世紀の人である事を考えるとやはり起源は違うようです。ただ、そういうものを混ぜこぜに奉ってしまうのが地域信仰の素晴らしいところですね。
さて、今年度は町内会の班長の一人に選ばれており、準備からお手伝いをさせていただいてます。
まずは公民館に福引き抽選会の商品陳列から。洗剤やキッチンペーパーなど日用品が多く並びます。すでに子ども向けのお祭りではないようですね。
さて、祭り会場は早鈴町にある島津邸の駐車場を利用して舞台を作っています。町内の6年生を中心に企画され、クイズ大会やラムネ一気飲み大会などで祭りを盛り上げます。
今の小学生はしっかりしちょんな〜。花火戦争はどこでも始まらないようですね・・・
夜も更けて21時になるといよいよ福引き抽選会の開始です。
自転車や旅行券などなかなかの賞品ですが、やはり子どもではなく大人(少し年齢の上の方が多いようです)の方が盛り上がってますね。賞品を受け取りにくる子どもたちは照れくさそう。
*警備に立っていた関係上写真があまりありませんがご了承願います
このような地域の祭りはとても大事なんですが、仕事を理由に参加できない事もありとても残念です。出来るだけ参加して子どもたちに楽しい思い出を残してあげたいものです。
*さて、翌朝は早朝から祭りで出たゴミ拾いを含め町内美化活動の日。
まさに「祭りのあと」といった様相。恐ろしいほどのゴミが・・・(汗)
大人だけでなく、大勢の小学生や中学生の子どもたちも参加してくれたおかげであっという間にきれいになりました。
ついでに家の周りの側溝に生える雑草も成敗!
こういう活動も大切ですよね。汗びっしょりでビール!!といきたいところですが、朝の8時ですので我慢我慢・・・(涙)
*1週間後の7月21日は隣町の姫城町の六月灯。
早鈴町は他の多くの地区と同様テキ屋さんが出店を出して非常ににぎやかなのですが、姫城町はまさに手作り!小さな公園の中でお店も交代で町内会のみんなで管理しています!!
焼き鳥も焼きそばもとても美味しくあっという間に売り切れるんですよ。
大人達は大変ですが、子ども達は姫城町の方が楽しそうでしたね。ここは大人よりも子どもが主役な感じがしました。
また来年の祭りも楽しみたいですね。