栄養士下薗です。
前回の運動どうでしょう?のブログから、なんと1年も空いてしまいました・・・。
コロナ禍で思うように行動もできず、このようなことになってしまいましたが、久しぶりに以前弊社社長がよくアップしていた「まこちよかとこみやこんじょ」。
こちらのブログを、みやこんじょ居住歴43年のわたくしが都城の歴史編としてアップしてみようと思いました。
2023年1月29日
わが都城の歴史資料館である都城歴史資料館。
こちらの企画展「写真でふりかえるなつかしの都城」が開催されていましたので、家族で行こうとしましたが、昔すぎて子供達は興味なさそうだったので、奥さんと行ってまいりました。
日曜日とはいえ資料館はガラガラ。というのもこの企画はその日が前期最終日。おそらく企画当初は大盛況だったのでしょう。(知らんけど。)
残念ながら写真は撮影禁止のため、こちらではお見せすることはできません。しかし私の長年の都城の謎が解けることになりました。
それは「旭化成サービスの屋上展望レストランは回転していたのか?」
???
なんのこっちゃわからん・・・。
おそらく長く都城市にお住いの方、90年代以前に都城に住んでいた方はおわかりになるかと思いますが、それ以外の方はさっぱりおわかりにならないでしょう。
そもそも「旭化成サービス」とはなんなのか。
こちらの施設はデパートになります。(今デパートって言いますかね?)
旭化成といえば同じ宮崎県の延岡市に本社を置き、有名な大企業ですが、わが町都城に昔デパートを展開していました。
※旭化成といえば・・そうですね、この方たち宗兄弟。余計なことですがマラソンのあとファン〇飲むのすごいですね。(デパートでは働いていなかったようです。)
wikipediaによると70年代に宮崎市にあった橘百貨店が同地に出店しましたが、数年で撤退し、そのあとに建物ごと旭化成サービスが引き受け進出したようです。
そして橘百貨店の看板に文字が入りきらず、「旭サービス」と表記された(そんな理由?以下旭サービス)ので、都城市民には「旭サービス」として親しまれていたようです。
私が活躍した?小学生時代の80年代当時は旭サービスのほか、ダイエー、ナカムラデパート、都城大丸、寿屋の5社がしのぎを削って、デパート業を争っていたようです。
大好きなwikipediaによるとNHKの「激戦地を探る」という番組でも全国一の大型店激戦地区として放送された程の盛況ぶりであったとあります。(今では信じられませんね。)
その中で現在某パチンコ店(最近まで温泉施設もあった)になっていますが、都城駅前の好立地条件に位置していたのが旭サービスでした。
私も当時北原町在住で大王小学校に通う小松原地区の校区だったため、よくプラプラしていました。(なんか買え。)
そしてその旭サービスの屋上に位置するレストランが、私の記憶だと回転していたような気がするのです。(私が回転しているのではない。)
今バズっているこの動画のようなものでもありません。
が、小学生の記憶は非常にあいまいで、正直レストランはあまり行ったことがなく、(なんか食え)店舗内のてるてるランドというゲームセンターで遊んでいた記憶が強く(キャプテ〇コマンドーとかやってた)本当かどうかわからなかったのです。
寿屋派だった奥さんに話すと「そんなわけないでしょ。」と返されます。
親は覚えていないというし、97歳になる祖母も覚えてないようで、ナカムラデパート派だった叔母(知らんけど)に聞くと回っていたようで、どっちつかずです。
そこで調べるために図書館で都城の昔の広報を見に行くとかしてみましたが、その回転情報(なんじゃそら)はなく迷宮入りするところでした。
(広報ではサーキット場の計画や、サンピア都城など他の情報が多く楽しかったので次回第2弾でお伝えします。)
そして先日その謎が解けました。
なんと大好きなwikipediaに載っているじゃないですか!
資料館では、回転展望レストランの写真まで掲示されていたので確実ですが、皆さんにお伝えするためここまで引っ張りました( ゚Д゚)
資料館によるとレストランでは夏にビアガーデンも行われていたそうで、外を眺めながらのビールはさぞ美味しかったのではないでしょうか。(酔いも回りそうですが。)
では最後に、
おい!オレの筋肉!
まわるのか、まわらないのか、どっちなんだい!
まー!
わー!
るー!
パワ~!
ご清聴ありがとうございました!!(^^;)